詰襟の学生服で、一誠堂書店の面接へ――古書店主が見てきた神保町の52年【神保町と私 第1回】

詰襟の学生服で、一誠堂書店の面接へ――古書店主が見てきた神保町の52年

第1回 「一誠堂書店」に入店の頃(2025年6月号)(この記事)
第2回 変わり行くもの(2025年7月号) 掲載号のPDF
第3回 変わり行くもの(続)(2025年8月号) 掲載号のPDF
第4回 廣文館書店(2025年9月号) 掲載号のPDF
第5回 松村書店(2025年10月号) 掲載号のPDF
第6回 金寿司(2025年11月号) 掲載号のPDF
第7回 徳萬殿(2025年12月号) 掲載号のPDF
第8回 店員達の飲み会(一)(2026年1月号) 掲載号のPDF
第9回 店員達の飲み会(二)(2026年2月号) 掲載号のPDF
第10回 店の人たちとの飲み会(2026年3月号) 掲載号のPDF
第11回 おでん屋「えーわん」(一)(2026年4月号) 掲載号のPDF
第12回 おでん屋「えーわん」(二)(2026年5月号)
第13回 おでん屋「えーわん」(三)(2026年6月号)
第14回 郵便局爆弾事件(2026年7月号) 掲載号のPDF
第15回 店売り以外の売り方(一)(2026年8月号)
第16回 店売り以外の売り方(二)(2026年9月号)
第17回 三省堂書店解体中の火事(2026年10月号)

この回の舞台
時代|昭和48年(1973年)3月
場所|一誠堂書店(千代田区神田神保町1-7)。現在も同じ場所で営業
手がかりの一冊|『わが町の歩み』(神保町一丁目町会創立三十周年記念誌、昭和54年)

目次

神保町と私(第一回)「一誠堂書店」に入店の頃

佐古田亮介(けやき書店)

私が神保町と関りをもったのは、「一誠堂書店」に入店したからで、昭和四十八年三月から十三年九か月勤めて、独立したのが昭和六十二年ですから「けやき書店」も、創業三十八年がたちました。通算五十二年ほど神保町を見てきたことになるわけですが、本当に神保町は変わりました。

私が来たころには、まだ靖国通りの一部分に路面電車のレールが残っていて、雨の日には車のタイヤが滑ったりしました。神保町交差点にポリボックスも立っていましたし、第一に靖国通り沿いも、すずらん通りもビルなどほとんど建っておらず、今の一誠堂の駐車場から大久保書店のあたりまでは、関東大震災後に建てられた震災復興の看板建築で、同じ造りの十一軒長屋がズラッと並んでいましたが、現在ではその面影を残すのは、大久保書店だけとなりました。

神保町を語る上で欠かせない一冊

その変わってしまったところに何があったのか。靖国の表通りだというのに、ろくに思い出せません。人の記憶のなんとお粗末なことか。いやこれは、私だけが特にお粗末なのかも知れませんが。閑話休題、すこし古い神保町のことを書いてみようと始めてみたのですが、自分の記憶がてんで頼りにならないことが分かっただけで、途方に暮れました。ところが天の助けといいますか、古本家業のご利益とでもいいますか。今、私の手もとには「わが町の歩み」という本があるのです。

この本は、神保町一丁目町会創立三十周年記念誌として昭和五十四年十二月一日に町会が発行したもので、B5サイズでカラーグラビア六頁を含めて全一五二頁。本文も写真版を豊富に取り入れて、町会や商店会、お祭りなどを座談会もおりまぜて、たいへん興味深くつくられており神保町を知る上でかかせない一冊と言えるでしょう。しかも、この本には別刷りで、新聞紙一枚サイズの「神保町一丁目町会見取図」昭和五十四年十二月一日調製。が付いていて、北は靖国通り、南は再開発されて二棟のタワーが建った共立女子大前の信号のある通り、西は白山通り、東は千代田通りに囲われた神保町一丁目にあったお店や会社、個人宅まで全てを一軒一軒網羅してある貴重品なのです。再開発で無くなってしまった南側にあった店の数々をながめているだけで思い出す事がさまざまあり、タイムスリップした思いにとらわれます。しかし、再開発されなかったところも同じで、無くなってしまったお店のなんと多いことか。とにかく昭和五十四年から令和七年までの四十六年間でどれだけ変わってしまったのかが、この見取図のおかげで一目瞭然にわかるのです。

神保町一丁目町会見取図(1979年)の一部
「神保町一丁目町会見取図」1979年より。「羅生門」と「出雲そば本家」もありました。

新聞募集で一誠堂書店に入社

さて、百人力の力を得たも同然のおもいですが、いったい何から手をつければよいのやら。漠然たる気持ちに囚われて、いっこうに筆が進みません。ここはいったん振出しに戻り、私が一誠堂に入社した当時からはじめましょう。

そもそも学校が嫌いで、高校にも行きたくない。と言って先生や親を手こずらせ、何とか高校は卒業したものの、大学に行く気などさらさらなく、卒業後は毎朝、新聞の求人広告を読み漁って就職先を探していた。本を読むのは大好きだったので、出版社に行こうと思い履歴書を書いておいたら、たまたま、神田の一誠堂書店が求人募集をしていた。高校時代に好きで読んでいた、ヘルマン・ヘッセも確か、ギムナジウムを出て、最初に勤めたのが古本屋だったはずだと、ヘッセに倣って一誠堂に面接にいったのだ。ずいぶんと何回も面接を繰り返して、中々返事をもらえないのでダメかと、思ったころに採用の連絡が入った。あとから知ったことだが、これが一誠堂の新聞募集第一回であった。採る方もなれていなかったわけだ。卒業したてでスーツも持っていなかったので、詰襟の学生服で面接に行き、漫研にいたので履歴書もつけペンで書いて持っていったのが、真面目そうに受け取られたようで採用につながったようだ。これも後で聞こえてきたことだが、卒業した高校では、ほぼ九割以上の男子生徒が進学して就職や家業を継ぐなど、みな行く先が分かっている中で、一人だけどこに行ったのかわからない生徒がいる。というのだ。たぶん私のことだろう。進学や就職について、学校にも先生にも一切相談などしないで、ただ卒業証書をもらって来ただけだから。

一誠堂はその時、男女二名ずつを採用した。現社長の酒井武彦氏の初仕事であったかも知れない。募集をかけると今では、百人以上が応募して来るそうだが、私の時は十人だったそうだ。

(次号へ続く)

当時の神保町メモ

看板建築
関東大震災(1923年)後の復興期に多く建てられた、木造の店舗の正面を銅板やモルタル、タイルなどで洋風に仕上げた建物。神保町の靖国通り沿いには、いまも数棟が残っています。

路面電車(都電)
靖国通りにもかつて都電が走っていました。都電の路線の多くは昭和40年代に廃止され、筆者が入店した頃には、レールの一部が残るだけだったといいます。

ポリボックス
交番の呼び名のひとつ。当時は神保町交差点に小さな交番のボックスが立っていました。

『わが町の歩み』
神保町一丁目町会が創立三十周年の記念誌として、昭和54年12月に発行。B5判・全152頁で、別刷りの「神保町一丁目町会見取図」が付いています(本文より)。

連載「神保町と私」一覧

第1回 「一誠堂書店」に入店の頃(この記事)
第2回 変わり行くもの
第3回 変わり行くもの(続)
第4回 廣文館書店
第5回 松村書店
第6回 金寿司
第7回 徳萬殿
……
第12回 おでん屋「えーわん」(二)
第13回 おでん屋「えーわん」(三)
※順次公開します

佐古田亮介(さこた・りょうすけ)
けやき書店店主。高校卒業後の昭和48年、神保町の老舗古書店・一誠堂書店に入店。13年9か月勤めたのち、昭和62年にけやき書店を創業。『本の街』で「神保町と私」を連載中。


この記事は、神田・御茶ノ水・神保町の地域交流サロン誌『本の街』2025年6月号(Vol.2)掲載「神保町と私」第一回(文・佐古田亮介)の全文です。

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この記事を書いた人

神田・御茶ノ水・神保町の地域交流サロン誌『本の街』編集部。1980年創刊。毎月10日発行、加盟店を中心に60か所以上で無料配布しています。

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