「やきとり二人前」と注文されて出てきたのは、焦げ跡ひとつない白くふっくらとした串だった——昭和五十年代、神保町のおでん屋「えーわん」で価値観が一変した夜。汁を澄んだまま濁らせない女将の手間暇とともに、けやき書店・佐古田亮介さんが綴ります。(『本の街』2026年6月号「神保町と私」第十三回)

ご夫婦で営む店
おでん屋「えーわん」はご夫婦で営業していた。壁に貼ってある品書きの、おでんを除いては、すべてご主人が奥の厨房で作って出してくれる。おでんとお燗酒は女将さんの担当だ。どういうご夫婦かと言えば、お互いの仕事をキッチリとこなしている、息の合った感じで、映画「男はつらいよ」の車寅次郎の実家、団子屋の叔父さん夫婦みたいな感じといえば近いかも知れない。「えーわん」のご主人は、「とらや」のおいちゃんみたいに、愛想が好くて人当たりが柔らか。女将さんの方は、「とらや」のおばちゃんみたく、おしゃべりで愛想が好いとはいかないで、どっちかというと寡黙で無愛想とまではゆかないが、滝田ゆうの漫画「寺島町奇譚」の主人公キヨシのおふくろさん、を連想してしまうのだ。おでん鍋の前に、デンと座った姿からそうなるのかも知れないが、キヨシのおふくろさんも、長火鉢の前にデンと座って煙管をふかしている姿が描かれているのだ。まあ「えーわん」の女将さんは煙管をふかしてはいませんが。
でも「えーわん」の女将さんは、だんだん慣れて来ると、色々と親切に教えてくれる人だった。私がおでん鍋をのぞき込んで、おでん汁の澄んでいるのに感心していると、女将さんがその訳を教えてくれた。汁を澄んだままにしておくには、おでん種のひとつひとつを別々に仕込まなければならない。一緒にしては汁は濁ってしまう。ひとつひとつ別々に仕込んだ種を、このおでん鍋に仕切りを付けて、混ざり合わない様にしておかなければならないのよ。と、そうすれば汁は澄んだままで濁らないのよ。と、とてつもない手間暇をかけていることをさらっとした口調で話してくれた。押しつけがましいところが全くなくて、心底感心したのを覚えている。
「やきとり」に驚いた夜
もう一つ感心したのはご主人の焼くやきとりである。まだ二十代だった私は、焼き鳥といえば居酒屋の固くなった焼き鳥か、屋台の焦げた焼き鳥ぐらいしか食べたことがなく、大した食べ物とは思っていなかったのだ。「えーわん」のお品書きにも「やきとり」は載っていたが、注文したことはなかった。美味しいものだとは思っていなかったからだ。
ところがある時、北原さんが「やきとり二人前」と、私の分まで注文したのだ。結構待たされて出来上がってきた「やきとり」を見て私は驚いた。今まで食べてきた焼き鳥とは全くの別物だったからだ。今、目の前のお皿に乗っている一串の「やきとり」は、あくまで白くふっくらとした鶏肉の間に、同じ大きさに切られた長ネギが挟まり、鶏肉にもネギにも焦げ跡などは微塵もなく、ふわふわと柔らかそうにして、食欲を誘って来る。今まで食べてきた焼き鳥は一体何だったのだ。と、価値観を一変させるほど衝撃的だった。そして、一口食べてみてその衝撃は倍増した。美味い。本当に旨い。
これが鶏肉の本当のおいしさか。と目を開かされたのである。タレではなく、塩味の白焼きだったのも初体験であった。北原さん曰く「塩で焼くからこのうまさになるんだよ」との事であった。以後はおでんの他にこの「やきとり」を注文するのがお決まりとなった。
ここからは「えーわん」ご主人の甥御さんである武蔵野書院主・前田智彦様から聞いた話です。「えーわん」には集英社写真スタジオのスタッフが常連客として始終訪れていたそうです。集英社は雑誌をたくさん発行しているので、グラビア撮影が毎日のようにあり、スケジュールがキツキツのアイドルを撮――(つづく)
(佐古田亮介・けやき書店/『本の街』2026年6月号「神保町と私」第十三回)
佐古田亮介(さこた・りょうすけ)
けやき書店。高校卒業後、神保町の老舗古書店・一誠堂書店に入店。『本の街』で「神保町と私」を連載中。
▶前回はこちら:おでん屋「えーわん」(二)一誠堂の新入りが通った古書市場
この記事は、神田・御茶ノ水・神保町の地域交流サロン誌『本の街』2026年6月号(Vol.14)に掲載されたものです。続きは次号に掲載。ほかの記事もあわせて、PDFで全文をお読みいただけます。
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