「版画なんて、私のスケッチブックに描いた一枚の絵より安いんだよ」。50年前の東京藝大には版画科がなく、油絵科の中の研究室があるだけでした。『本の街』の表紙画を担当する版画家・山中現さんが、木版画に向かい始めた頃を振り返ります。(『本の街』2026年6月号「刻まれた記憶」第二回)

「版画は半分の絵だ」
「版画なんて、私のスケッチブックに描いた一枚の絵より安いんだよ、そんなところに行くのか」と油絵の教授が言ったという。
今から五十年ほど前。油絵から木版画に移った学生は、山中さんと友人の二人だけでした。当時、版画科というものはなく、あくまで油絵科の中の「版画研究室」というかたち。「版画は半分の絵だ」と言われていたこともあるといいます。それでも山中さんは、油絵は西洋の借り物に過ぎない、と感じていました。

小野忠重先生のこと
版画研究室の中心にいたのは、小野忠重先生。その年で非常勤講師のまま定年を迎え、退官される予定でした。新入生の歓迎会は、ふぐ料理の店で開かれます。人数は少なく、五、六人の宴。少し緊張しながら参加した山中さんの前で、お酒が進むなか、先生は突然かけていた眼鏡をはずしました。
レンズについた傷を見せて「これは昔、刑事につけられたんだ、奴らは二人組で、一人は高圧的、もう一人がそれをなだめる、そういうやり方をするんだ」と言われた。
そして「自分は芸大なんかにいる人間ではない」とも。小野先生がかつてプロレタリア美術運動に関わっていたことを、山中さんは知っていました。
記事はこのあと、批評会でのある学生の発言をきっかけに、先生と学生たちの関係が思わぬ展開を見せる場面へと続きます。記事全文と作品図版は、6月号PDFでご覧いただけます。
※山中現さんは『本の街』の表紙画を担当しています。
山中現(やまなか・げん)
1954年、福島県喜多方市生まれ。版画家。東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻を卒業後、木版画に転じる。国内外で個展を重ね、詩画集の装画も手がける。2026年5月号より『本の街』の表紙画を担当。
この記事は、神田・御茶ノ水・神保町の地域交流サロン誌『本の街』2026年6月号(Vol.14)掲載、山中現さん(版画家)の連載「刻まれた記憶」第二回のご紹介です。
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